『贈物の話(前)』
灰色の空気の漂う薄汚れた道の端にその少年は立っていた。
肌は小麦色をしているものの決して健康的とはいえない躰の線。
顔色も何処となく優れない。
ぶかぶかの服はところどころ土に汚れたままになっている。
其の少年は、去年のこの時期、上の兄からお下がりとして受け取ったバスケットボールをつきながら人影の見えない道を眺めていた。
昼時はいつもこんな感じだ。もう慣れている。
家族の殆どが出稼ぎに出ていて遅くまで帰ってこない。
近くに歳の近い友人も居ないので、少年は毎日此処でバスケットボールと戯れることを日課にしているのだ。
別にプロになりたいわけではない。
他にする事がないだけだ。
この通りで少年以外に生きているものといったら、時たまくたびれた表情で道路を下る浮浪者だけ。
音も、地面と少年の掌をいったりきたりするボールの音だけだった。
寂しいなどという文句は言うまい。
家族の全員が働かなければ彼等は食べてゆく事も、現在住んでいる家に居る事も出来ないのだから。
先程目の前を通っていった浮浪者の仲間入りをしないですんでいるのだから。
だから今日も少年はボールを叩きながら立っていた。
通りは半そでの少年に容赦なく冷たい風を浴びせては沈黙だけを残した。
ごと。
ボールの跳ねる音の間に混ざった音に、少年は叩きつける動作を中止して回りを見回した。
先程の浮浪者が帰ってきたのだろうか。
ここは隣町ほど物騒では無いからさらわれたりすることは無いだろうとは思ったが、母親に良く注意されているので念のため物陰に隠れて様子を見た。
ごと。ごと。ごと。ごと。
音はとても規則正しく響き、段々此方へと近づいてくる。
それで漸く、少年はその音が足音である事に気づいた。
しかし少年は首をかしげる。
こんなに重そうな足音聞いた事がなかった。
変な音だ。ぺたぺたのスニーカーが出せる音じゃない。
少年は好奇心に任せて、その身を乗り出す。
通りに、人影。
その姿を確認して、少年は再度首をかしげた。
なんというか、変な人だった。
何しろ、まず頭が白髪だ。
でも顔はおじいさんではなく、少年のお兄さんと同じくらいの歳に見える。
その肌の色も変だ。
この町には白人なんて居ないはずのに、彼の肌は小麦色をしていなかった。
はっきり言って服装も変だ。
なんだかふわふわもこもこしているものを首と腕にまいている。
あんな服、見たことがない。
その上、背中には真っ白で大きな袋を背負っている。
中には何か入っているのか角ばっており、彼がごとごとと音を立てて歩くたびにわしゃわしゃと鳴っていた。
変だ、変すぎる。
幽霊か何かだろうか。
少年は思い切って、声をかけてみた。
おい、お前。
その青年は特に驚きもせずに此方を向くと、返事を返した。
なんだい。
その口には煙草がくわえられている。
小さな赤い火が、面白そうに上下に揺れた。
お前、誰だ?この辺じゃ見ない顔だな。
そうだね。ちょっと道に迷っちゃったみたいだな。
へんなやつだな。その髪の毛本物?
うん。
お前、おじいちゃんなのか?
そう見える?
ううん。
じゃあ違うんだよ。
どうも要領を得ない会話である。
少年はさっさと話題を切り替えることにして、聞いた。
なんだその袋?お前、鞄とか持ってないの?
もってるけど、これはこういう運び方が一番効率いいんだよ。
何が入ってるんだ?
少年が問いを重ねると、相手は悪戯っぽく眼を輝かせた。
さあね。
はあ!?なんだそれ!
一瞬の間の後少年は叫ぶ。
白髪の青年はというと、けらけらと嬉しそうに笑っていた。
君が当ててみてよ。
解るわけないだろ!馬鹿にしてんのか!?俺が超能力者だと思ってんのか!?
いや…別にそういうわけじゃないんだけど。
じゃあ、なんだよ!
知ってると思ったから聞いたんだけどな…
そして、青年はその袋を肩から下ろして少年に差し出す。
少年はいぶかしげに其れを見つめてから、少し考えた。
あ…?
そして、思い当たる。
も、もしかして!よ、よこせ!
彼の手からひったくるようにして袋を奪い、その口をあけようと必死になる少年に、
青年は只笑んだ。そして、呟く。
いいよ。
その言葉と同時に、袋の中身がどさどさと零れ落ちた。
少年は目を見開く。
これほどの量があの袋の中に、と思うほどの食料の山。
此れなら近所や仲良しの人たちに分けたって3日は持つ。
少年は、自分の顔が紅潮するのを感じた。
凄い、と本気で思った。
うわ…まじでこれくれんの!?
うん。
これだけあれば…うわあ、
少年は山を見つめていた顔を上げて、
ありがとうッ
数年間他人などに言ったことは無い言葉を伝えた。
しかし、其の伝えるべき相手はもう其処には居なかった。
数秒前には返事をしていた彼は
灰色の空気が戻ってきた道路の何処にも見当たらなかった。
**
硝煙と血の香りの漂う戦場で、その少年は座って怯えていた。
崩壊しかけの飲食点のカウンターの中で震える彼の顔は、見れば気の毒になるほど青ざめている。
傷だらけで泥まみれの手には一度も発砲されていないライフル銃が鈍く光って収まっていた。
外ではいまだに断続的な発砲音や爆発音。
其れが近ければ悲鳴さえ混じった恐怖の音が少年の心を蝕んでいた。
些細な事が原因の内乱だった。
元々それほど仲が良いわけでもなかった二つの部族が、他の国々に認めてもらうために造った国で――内政は酷いの一言。
そして、一方の部族がもう一方の部族のものに対して暴行を振るったお陰で起こった終わりの無い報復の応酬。
其れがこれ以上無いほどの悪化したのが、この戦争だった。
まだ少年である彼にさえ戦う意味がないとはっきりわかるような戦争。
彼ははっきり言って、武器を構えるのは嫌だった。
向こうの部族には友人が居る。
大人の事情など関係なしに分かり合えていた友人が居る。
その家族かもしれないものたちなどに――発砲することなど不可能だった。
だから少年は此処で怯えていた。
とにかく、この戦いが早く終わることだけを祈っていた。
ぎゅっと目を瞑り、考える。
きっと目を開けたときには此れは全て終っている。
長い、悪い夢で終っている――
やあ。
その逃避は、場違いに呑気な声で強制中断された。
…!!
まるで心臓発作を起こしたように身を引きつらせ、少年は反射的に銃を構える。
しかし目の前の青年は片方の眉を困ったように上げるだけで、特に避けもせずに少年の手に触れた。
別に、俺は敵じゃないよ。
…
青年は、穏やかな口調で少年に話しかけた。
震えと混乱が収まるにつれ段々はっきりと知覚するようになった相手の姿は、なんというか、奇妙だった。
まるで女のように綺麗な顔をしているのに、その髪の毛は雪のように白かった。
その上、その瞳は澄んだ紫色をしている。
そんな瞳の色の人間など、少年は知らなかった。
更に、その服装。
此処は戦場だというのに真っ白なファー付のコートを着ていて、しかも其れには汚れは一つもなかった。
やあ少年、こんなところでどうしたんだい?まさか僕にカクテルを振舞ってくれるわけじゃないだろう?
ち…違います。貴方は、誰ですか。
俺?んー…
…記者ですか。キャストですか。毎日毎日命知らずですね。戦場ですよ。
うん。知ってるよ。でも、俺は君がなんでここに隠れてるのか知らないなあ。君こそ、兵隊なんだから戦場に居るはずじゃないの?
…。
少年は、銃を胸に抱えて目を閉じた。
僕は。
僕は、友達を撃つくらいなら臆病といわれたって良いんです。だから隠れてます。
目の前で紫煙を揺らす青年は、暫く何も言わずに彼を見ていた。
そして、ふ、と笑みを零すと少年の頭を、ヘルメット越しに撫でた。
少年が驚いて目を開ける。
青年は目を優しげな色に染めて、静かな声で言う。
君は偉いんだね。君は臆病なものか、誰よりも勇気がある素晴らしい子だよ。大人の強情に流されず、よく頑張ってるんだね。
其の声に、其の暖かな空気に、少年は涙を零した。
本当に、こんな戦いはもう沢山なのに、彼を肯定してくれたのは、目の前の青年只一人だった。
テレビでは毎日、国民を煽るようなニュースばかり。
海外のラジオを聴いてもその戦争を止めさせるような動きは伝えられず、むしろどの国がどちらの部族を援護するかで揉めあっている。
否、もしかしたらそういう動きはあるのかもしれない。
けれど伝わってこない。
何処かで黙殺されているのは確かだった。
僕には『この戦いを終らせる権利』なんてものは無い。この国が選んだことだから、この国が解決しなければ大変なことになってしまう。
青年が続ける。
でもね、もしかしたら其れを助ける事は出来るかもしれないよ。『不自然でない』範囲なら、ね。…どうしよう、か?
少年は、吐き捨てるように返した。
なんでもいいです。どうでもいいです。何か別のことが起こるなら。
青年はわかった、と一言呟くと、少年の頭から手を離して立ち上がった。
少年が涙でぼやけた視線を投げかけると、彼は大きく伸びをして言う。
ようし。それじゃあ、其処で隠れていなよ。出てきちゃあいけない。何があっても、夜明けまではでてきちゃいけないよ。
え…?
そして、覚えていて。
君が願う限り、君がその願いを他の人たちに広げる限り、たとえ君が居なくなろうと其れを継ぐ人は現れる。『奇跡』は決してなくなりはしない、人の思考に『明日』という言葉がある限りはね。其れは人間に残された最後の『匣の中身』だ。
其の名を、『希望』というのさ。
青年はそういってにっこりと微笑むと、一気にカウンターを飛び越えて何処かへ走り去った(音がした)。
少年は一瞬後を追いそうになった身体を、すんでのところで押し止め、また縮こまる。
約束だ、夜明けまではこのままここに居なければ。
そうやってまた少年が目を閉じ逃避し始めた頃、
何処か遠くで激しい銃撃戦が始まり、終った。
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