『魔王の話』








明かりは月と瞬く星達だけ。
音は時折囁く木々の声だけ。
生き物の影さえ見当たらない深い森の中に一つの村があった。
否、それは最早村と呼ぶ事は出来ぬ朽ちた廃墟だった。
何がこの村をこうしたのかすら断定できぬほどに腐敗し、もう数年立てば全てが土へと帰るだろうと思われるほどに何もかもが壊れ、貶められ、完膚なきまでに『死んでいた』。
かつて家であっただろう場所には雑草が茂り、名も無き花たちが道や庭、そして井戸にまで根を張っていた。

その廃墟群の中心に、只一つだけまだ朽ちてはいないものが有った。
何かの石碑らしき大きな岩に、歪なボロ布の塊が鎮座している。
撫でるように風が吹き、その塊から布の一部を剥ぎ取っていった。

その下には、人型の何かがあった。

だがその人型も微動だにせず、剥ぎ取られた布を元に戻そうともしない。
彼もまた、村と共に死んでいた。
存在したであろう村全体が見渡せる位置に座り、全てを守ろうとするかのような高貴さを持って死んでいた。

月はそんな彼を愛しむかのように照らし、全ては美しく、誰も立ち入れぬ聖域のような神聖さを漂わせていた。












数刻前、此処に一人の青年が踏み入った。




まだ少年らしさの残る顔を半分ほど分厚いフードで隠し、張り詰めた空気で歩いていたが、廃墟群の広がる場所に出くわすと沈痛な面持ちで暫く其れを眺めていた。
口から漏れた呟きは風にかき消され、青年はその場で膝を折る。
頭を垂れたその姿勢からは青年が何を思っているのかは解らないが、その様々な感情の中に落胆が混じっているのは確かだった。

ふと、視線を感じたような気がして青年は顔を上げる。

目線の先に、何か石碑のようなものと、その上に鎮座するボロ布の塊が見えた。

人が居た事に歓喜したのか青年は足をもつれさせながらその中心部へと走り、時々舌を噛みながら叫んだ。
「申し訳ございません!あの、此処は本当に、『魔王の居た場所』と噂されるところですか!?」
塊は、何も答えない。
「生き残りは居るのですか!?『魔王』はどうしたのです!死んでしまったのですか?それとも、何処か別の場所へ?それなら、お願いですから教えてください!『魔王』に会わなくてはならいんです!」
塊は、何も答えない。
青年は焦り、手に持っていた弓を捨て、腰に吊っていた矢筒を外してもう一度聞いた。
「お願いです、敵意はありません!『魔王』にも、只あって話がしたいだけなんです!お願いです、教えてください!」
しかし、矢張り塊は何も答えなかった。
青年は混乱した。
何がいけないのだろうかと必死で考え、とっさに被っていたフードを剥ぎ取った。
明るい茶色の髪の中、二対の角が月明かりに晒された。
「信じてください、僕も魔族なんです!」

そうして漸く、塊が微かにに動いた。

「…何故一人で旅をする」
だがその擦れた声はまったく見当違いな言葉を返してきた。
「態々危険な世界を放浪するとは、住処を追われたか。復讐に燃えるか。其れとも只の酔狂か。」
「全て、違います。やむを得ぬ事情です。とにかく『魔王』と呼ばれる人に会わなくてはなりません」
青年は戸惑ったが、正直に話すことにした。
ばれる嘘をついてもしょうがない。
そんな彼に、塊は更に質問を重ねる。
「目的は魔王か」
「はい、そうです」
「あって何を話す」
「彼の、家族のことです」
「家族とな」
「はい」
青年は、また少し俯いて言った。
「彼の妻が病死した、と」
其れを聞いて、塊が纏っていた空気が緩んだ。
「…して、その話を知るお前は」
「『魔王』と呼ばれるものの、息子です」


長く、長く沈黙が続いた。



先に、重い口を開いたのは塊だった。
「この村の事を知っているか」
「噂話と、母上に聞いた話だけ、ならば」
「この村に何が起こったのか知っているか」
「…噂、でしたら。しかしどうやら現実のようですね。この村は…壊滅してしまったのですね。」
「それだけ理解できているなら何故立ち去らぬ」
「貴方が此処に居たからです。単なる噂でない話や、生存者が居るならばその行方を知りたかったからです」
塊は、かすかに肩を震わせた。
「良いだろう…。ならば教えよう」
「有難うございます…では、順序だてて聞こうと思います。『魔王』――父上は、母上の言った通り此処に理想郷を作ろうとしたのですよね?あらゆる人と魔族が共存できる場所を?」
「是。」
「ならば…何故人々はこの場所を悪く言ったのですか?その上、単なるリーダーであった父上を『魔王』と呼ぶなど」
「簡単な事だ。誰も都合の悪い事は歪曲して考える性質を持っている。其れは人それぞれで違うものだが、単に『今まで通りの関係』を壊されたくないという者が居れば、『見くだす相手が居なくなっては困る』という者も居る。そういう者の頭蓋の中では其れを率いるものは『魔王』と成ろう。其れがまかり通ってしまっただけの事。其れが『一般常識』として、『正論』として、民の間に伝わってしまっただけの事。口伝で有れば悪化もしような」
「…そんな、そんな噂、一度此処にくれば嘘だとわかるではないですか」
「誰が好き好んで『魔王』の住みかに足を踏み入れようか」
「それはそうですが」
青年は、大岩の前で腰を下ろした。
下から見上げると布の塊の背後に月が被って、まるで後光のように見えた。
「此処からの人たちは外に出て行かなかったのですか?人々に、静かに暮らす事がどんなに素晴らしい事なのかを伝えたりは?」
「何度か試した。我々も馬鹿ではないのでな」
「すみません、そういう意味で言ったわけでは」
「否。謝る必要は無い。誰もがたどり着く考えだ…が…無効果に近かったと言える。」
「何故です!」
「誰が好き好んで『魔王の手下』の言葉を聞き入れる。同じ人間を『洗脳された』と言い放ち、捕らえ、拷問のような苦痛を与える輩どもがだぞ」
枯れた声が震える。
「そのうち誰も外に出たがらなくなったわ。我々には外の世界は地獄と化してしまった。そうでなくとも自衛に忙しかったからな――何せ、『魔王』を倒したがる『勇者』どもは毎日のように群がってきた」
「そんな」
「最初のうちは少しでも此処の悪い噂を減らそうと、その『勇者』どもを殺さずに近くの町に送り返したりもした。だがそうしているうちに我々は気づいたのだ。何度でも戻ってくる者たちが居る、とな。きりが無かった。我々の何を聞いたかは知るところではないが、彼奴等にとって我々はたんに『滅ぼすべき悪』だった。そうしてある日若者の一人が勢い余って『勇者』の仲間の一人を殺害してしまって――事態は一気に悪化した。彼奴等の目的に『復讐』が加わり、戦いは一層激しくなった」
「其れは…逆恨みではないですか、勘違いも甚だしい!」

「だが彼奴等にとっては其れが真実だったのだよ。我々が悪だった。彼奴等の日常を乱すもの、脅かすものたちだった。」

青年は押し黙った。
ぐっと奥歯をかみ締めて暫く何かを堪えるようにしていたが、顔を上げると岩の上の彼にまた聞いた。
「では、教えてください。この村の、最後の日を。此処の方々は一体どうなったのです。そして…父上は、どうなったのですか」
布の塊に見える彼は少し間を空けてから滔滔と語り始めた。


「あの日も、今日と同じように綺麗な月が出ていたな。連日続く襲撃に限界を覚え始めた我々は、いっそのこと場所を移すべきかと話し合っていた。外の見回りは若者達が自主的に勤め、女子供はいつもの通り浅い眠りについていた。
移住を望む者たちと此処で守りを固める事を望む者たちとで中々意見がまとまらぬ中、見張りが新たな襲撃者の出現をつげ――途中で、途切れた。
今度の者達は容赦が無い上にかなり腕が立つものらしいと確認し合い、我々は会議に使っていた小屋の明かりを吹き消すと二つのグループに分かれて行動を開始した。
一つのグループは迎撃、もう一つのグループは女子供を守る役目だった。
『魔王』は迎撃に走った。
しかし其処で彼が見たものは、いつもの『勇者』かぶれどもでは無かったよ」
「…貴方も其処に居たのですか」
「…。左様。
とにかく、其処に居たのは少人数などではなかった。
良く考えれば今まで少人数だったのがおかしいのだろうが、その時は混乱の方が大きかった――何せ、この村の規模にこの人数は、という数だったからな。
右を向いても左を向いても勇者だらけだ。その上団結力も強かった。『敵』ながらに賞賛を送りたいほどだった。
もしかしたら、恐れを知らぬ彼奴等を文字通り『勇者』と呼ぶべきなのかも知れぬな。
だが我々も死に物狂いで戦い、傷だらけになり、仲間の多くを失いながらも大部分を沈めた」
「…それでは、何故…」
「相手の方が一枚上手だったということだ。
『魔王』含む迎撃組は戦ううち、知らぬ間に村からは遠く引き離されていたのだ。
其れに気づいたとき我々は呆然としたよ。
何を考えていたのか――『魔王』は後方で指示を出し、最後の最後で勇者達と一騎打ちをするという御伽噺を信じていたのだろうか――我々と戦わなかった部隊が村を焼き払い、『魔王』と思しき者を手当たり次第に殺していったらしい。」
「酷い」
「それでも村を守るために戦った者達が居た。我々が焦燥し村に――村だった場所に――戻ると、戦いの後が見られた。
老若男女、此処を愛していた気持ちは変わらなかったのだろうな。若者達は勿論、母親たるものも、子供も――多くのものが手に武器を持ち、そして倒れていた。
同じように、何名もの『勇者』達も息絶えていた。村のものと刺し違えているものも居た」
「…、……」
「そんな『勇者』たちにも良心のカケラが存在したのだろう、無抵抗だったものたちや子供の大部分は村の真ん中に集められ、村が燃え落ちてゆくのをぼんやりと眺めていた。
我々も同じ気持ちだった。『魔王』を討伐し終えたと勘違いしたのだろう、もう『勇者』たちの姿も気配も感じられなかったが、
我々にとって何もかもが無に帰った。
誰もお互いを責めず、何も口にしなかった。
我々の生涯で、一番長い夜が明けるまで何も、な」
「…父上は…父上は、どうなったのですか。生き残った…のでしょう?」
「『魔王』は…日が昇ってから、生き残った数名の若者と女性達に子供達を連れ又別の場所で『分かれて』暮らして欲しいと頼んだ。
『魔王』と他の数人は此処に残り、全ての死体を回収して一箇所に埋め――この岩を、墓石とした」
「…そして?」
「その少人数の中の何人かは復讐をすると出て行った。『魔王』は其れを止めなかった。
今更何を言っても虚しいだけなのは解っていたからだ。
残りは先に出て行った若者や女子供を追っていった。
そして、『魔王』は――」


「――この場で、力尽きて息絶えた」


青年は、今度こそ頭を垂れた。
「そして、貴方が墓守を」
「…」
声が、震えている。
目から、涙が出ている。
ここで最初に膝をついたときよりも数倍強い感情が交じり合って、上手く表現できない何かが心の中で暴れている。
「『魔王』の息子よ」
そんな青年に、岩の上の布の固まりは静かな声で呼びかけた。
「お前の心に今何がある。復讐心か虚しさか」
「何もかも、です」
「だろうな。我々もそうだった」
「では、今は違うのですか」
「今もそうであれば私はここに居ない。今一度武器を持ち、血だらけの地面を走っている」
「…ですが」
「『魔王』の息子よ」
もう一度、彼が頭上から言う。
「先程言っただろう。覚えてはいないのか、彼奴等にとっても正義が有った事を」
「こんな『正義』なんて!畜生!」
「…いつの時代にも『悪』は必要なのだよ、若いの。」
「…?」
「その『悪』たるものが真に『悪』と成ろうと思っているとは限らぬ。
只単に望む未来が違うのかもしれない。
もしかしたら、生きる術をそれ以外に知らなかったのかもしれない。
我々が外の世界を悪と見なしたように外の世界は又我々を悪と見なした。それだけの違いよ。
悪は人々の生活、そして世界そのものの構成の中に必要なものなのだと私は考えた。そうでなければ『善』という概念さえそもそもありえぬものなのだろうし、共通する『敵』が居なければ『味方』という関係もまたありえない。認めない『悪人』が居なければ認める『友人』も存在しない。」
「…」
「現に、我々を襲った者達の団結力は賞賛に値したと評価したな?其れも、我々という共通の敵が会ったからこそだ。そうでなければ彼奴等はめぐり合うことすら無かったかもしれん。そう考えれば――」
「だけど!間違ってる、こんな――!」
「止めよ。怒るな。結局した事は同じだ。我々はこの村を守るため。彼奴等は彼奴等の『世界』を守るため。理由は違ってもお互いに殺しあった事に相違ない。殺人と見てしまえば其処に正義は存在しない。もしお前が『勇者』どもの家族ならば我々が悪になるだろう?」
「…そんな、それじゃあ…意味が無いじゃないですか。この村は…父上は…結局、時代の中の『悪』でしかなかったんですか!?そんなもののために父上は一生を捧げたんですか!?」
「…『そんなもの』といいやるな、何も知らぬ若造が。」
「…あ」
頭上から降る声が急に突き刺さるようなものになり、青年は顔を上げた。
後光。
影は青年を見下ろして更に何かを言おうとして――やめた。
そして長い長い溜息をつくと、
「…『そんなもの』で済ませてしまったら、其れこそ意味がなくなってしまう」
また声を元に戻して言った。
「意味は、あったのだよ。結託した人間達は信頼しあう事の素晴らしさを、我々と戦う事で見つけた。お互いにいがみ合い、争いあっていた人間達が、だ。破綻しかけていた彼等の理は修繕され、更に強化されたも同じ。我々が求めた分野ではないが、他の場所で何か新しいものが生まれたのは確かだ。だから…否定してくれるな、それこそお前の父親の一生の情熱を」
「…。」
「お前は、如何する」
塊が聞いた。
「お前は、復讐に走るか?己の正義を求めるか?『魔王』の息子たるお前ならば向こうから仇が現れるやもしれんぞ。其れとも、それこそ『魔王の息子』として父の影を追うか?もしくは全てを諦めて一人静かに生きてゆくか?其れも良いだろうな、その身は永遠に安全だ。どれも『正しい』と呼べる行動だぞ、他人が如何思うかは別だがな?」
「僕は――」
「だが、此れだけは。この村に関わったものとして此れだけは――言わせてくれないか。外からの批評は何にせよ――此処で過ごしていたものたちは皆、それなりに幸せだった。結果がこうなってしまっただけで…決して我々は間違えたなどと考えては居ない。この村で過ごした経験を持つものたちは、減りはしたが消えうせたわけでもない。少しずつでも、この種は確実に実を増やすと私は信じている。其れが何年、何十年、いや何百年後になるかは分からないが必ず――この村にあった思想が、共通のものになっていくと思っている。だから、できればで良い――」


「復讐に走らないで欲しい。殺戮に走る若者が増えれば、それだけ溝は深まり埋めるのに時間が掛かってしまう」

「此処にその足で来たのなら、この村にお前もお前なりの意味を見つけて欲しい」

「そして、まだもう少しだけ理解に時間が掛かる他種族の者達を――許して、やってもらえないか」


青年は涙に濡れた目で蠢く布の塊を見つめていたが、ゆるゆるとした動作で立ち上がると、問いかけた。
「父上は――何か、言っていましたか?心残り等…無かったのでしょうか。僕は…」
「…一つ」
「なんでしょうか」
「お前が…此処にくるようなことがあれば、息子に、聞きたいことがあったそうだ」
「…はい」
塊は、小さな声で、青年に伝える。

「…『俺は…頑張ったよな?』」










青年は、また零れそうになる感情を抑えて、精一杯に笑顔を浮かべて頭上の彼に答えた。
叫んだ。
何でもいい、届けばと。


「はい!」

















落とした武器をまた拾い上げ、青年はその場を去ろうとして岩の上の塊に問いかける。
「…此処に、死ぬまで?」
「是」
「あの…もしよければ僕と一緒に旅をしてもらえませんか?」
「申し出は嬉しいが、もう長くは持たん命だ。どうせ遠くまでいけないのなら…この村で、守りたかった皆の居るところで息絶えたいと思う」
「…!…」
「行け」
彼は、言った。
「最後にお前と話が出来てよかった。行け、此処で時間を無駄にする必要は無い」
「…」
青年はなんともいえぬ表情で彼を見つめていたが、また、同じような精一杯の笑顔を浮かべた。
「有難うございました。お疲れ様でした。…いつか、また、会いましょう」
「…お前の前途に、幸が訪れん事を」






青年は、そうしてこの聖域を去った。








その背中が消えた暗闇を見つめながら、ボロ布に包まれた男は考えていた。
矢張り伝えるべきだったろうか、この姿を見せるべきだったろうかと。
しかし暫くして、男は頭を振った。
あの子に余計な事をいう必要は無かった。
たとえ先程の話に一割ほど嘘が混じっていたとしても、其れは其れで此れから真実に成る事なのだから一緒だろう。
『魔王』は此処で息絶えた、それで良いのだ。


この、ボロ布の下に青年と同じ色の髪や目が隠れているなど。
その頭に、同じような角が生えていることなど。
伝えなくとも――賢いあの子の事だ、そのうちいつかきっと気づくだろう。
最早自分にとって思い残す事は本当に何もなくなった。

青年の瞳の向こうに、その背中に、未来の輝きが見えた事実。
そして、たとえ此処で果てようと、向こう側には仲間達だけでなく妻も待っている、その事実。
それだけで良かった。




かつて『魔王』と恐れられ、そして同時に多数の親友であり戦友であり指導者だった男は今一度村の存在した場所を見回した。
そして、あの日から出さなかった笑い声をかすかに漏らして、



月光を浴びながらゆっくりと目を閉じた。






inserted by FC2 system