『彼女の話』


「大丈夫だ」
狭く薄暗い簡易な砦の中で、男性が言った。
周りには子供と言っても差し支えないようなものたちが数十名、それぞれにどろどろに汚れた使い古された武器を携えて、その声を聞いていた。
「大丈夫だ、信じている限り。」
中には泣いているものも居た。
己のうちに湧き上がる恐怖に耐えかねてその場で嘔吐するものも居た。
しかし大半はただ真っ直ぐに前を見ていた。
男は、そんな彼等を愛しげに見つめると、又、言った。
「大丈夫だ。守ってきたものは此処にある。彼女は此処に居る。道端を、焼け野原の中を、銃弾の雨の中を、彼女は私達と一緒に駆け抜けてきた。だから彼女だけは守らなければならない…其れが、私達の戦ってきた意味だからだ。解っているね?」
沢山の頭が、上下に動いた。
よろしい、と彼は呟くと、背負っていた銃を下ろして、構えた。
「さあ、そろそろ行こうか。大丈夫だ、信じなさい。そうすればきっと彼女は力を貸してくれるんだ。きっと、成功する」
さらに沢山の頭が上下に動き、それぞれが持っていた武器を、男と同じようにして構えた。
男は笑った。
「また、会おう」


その声を合図に、彼等は砦を駆けて出て行った。
彼女も、兵士の一人に抱えられて『走り出した』。
彼女は兵士達と共に林を駆け抜け、場違いに晴れた空の下で真っ青に輝いた。

相手側は突然の襲撃にあって混乱した。
だが、冷静なものは反撃を始める。

彼女の青い身体は、緑と茶色の林の中で大変に目立った。

林の中では乾いた音や爆発音の嵐が吹き荒れている。
そして、そのなかの複数が彼女を抱えていた少年の肩に穴を開けた。

少年が後ろ向きに吹っ飛び、彼女を取り落とす。
しかし、直ぐに後ろから走ってきた少女が彼女を拾い上げた。
彼女が、森の中で映える。
「栄光よ!」
少女が彼女にすがり付いて、半ば泣きながら叫んだ。
相手側の基地で、巨大な爆発音が起こった。

その直ぐ後、少女の体は敵の銃撃でばらばらになった。

そして彼女は


また、彼女を愛している子供の一人に抱えられた。


片腕を失った子供で銃もろくに撃てず
手榴弾一つを与えられて戦場にたった子供だった。
彼は彼女を、敵からは見えない木の陰にそっと下ろすと、其処に立たせた。
子供は其れを見て無邪気に微笑んだ。

そして彼は手榴弾の安全ピンを口で抜くと、

其れを抱きしめ、走っていって物陰から相手の兵士達の塹壕に飛び込んだ。



やがて、相手側も兵士が減り、少しずつ森が静かになり

最後に一発、単発で銃声が響いた。








最後の物音から大分立った頃、砦の外、林の方から一つの影が歩みよってきた。
其れは砦の中に居た少年の中の一人で、腹部から出血をしていた。
少年は木々にもたれかかって休みながら、少しずつ少しずつ砦へと近づいた。
その震える手には、彼女を抱えていた。
しかし其処には無音の世界が広がるのみ。
その少年以外には、人は一人としていなかった。
少年はもう、そんなことは想像できていたから今更落胆はしなかった。
彼は、其れを運命だと受け入れていた。
それに、もう、関係ないのだ。
少年は彼女を抱きしめるようにすると、砦の最上部を目指す。
階段をゆっくりと上り、彼が進んだ場所に、赤い道が出来た。
砦の上は少し広めの高見台のようになっていて、彼女の国が一望できた。
少年が、少しぼんやりとしながら眺める。

しかし其処に、少年がかつて見た小さくとも限りなく美しい国は存在しなかったのだが
少年の目には焼け爛れた町々は黄金に、黒く変色した湖は銀色に、
虫食いのように戦いの後を残す森は限りないエメラルド色に見えた。
彼はその国に敬礼をした。


そして少年は砦の上に彼女を立たせた。
がくがくと揺れる足をしかりつけて彼女を見上げ、再度敬礼をしたあと、その足元に倒れこむ。
そう、もう、関係がない。
どうせ自分は死ぬのだ。
自分は死ぬけれど、彼女は守られたのだ。
自分達の、代わりに――彼女は此処で永遠に立つのだ。






少しだけ、この静かな森に相応しい爽やかな風が吹いた。
少年の顔の上に、ゆらりと、影が覆いかぶさった。
少年が目を開ける。

彼女が、彼を見下ろしていた。

少年は其れを朦朧とする脳で理解すると、最後の力を振り絞って彼女の足元に抱きついた。
そして目を閉じると、本当に幸せそうな、穏やかな顔をして、呼んだ。

「母さん」

と。






こうして、彼女は一つの戦争の結末を見ていた。
奇襲を受けた相手側はほぼ全滅、退却を余儀なくされもう二度と侵略など考えないだろう。
この小さな国の為に戦い、死んだものたちの思いは報われたのだ。
もちろん――この最後の奇襲で死んだ彼女の最後の子供達のものも。
彼女を抱えて走った少年の思いも。
彼女に栄光を願い、ばらばらになった少女の思いも。
彼女の為に爆弾となった、子供の思いも。
足元で息絶えた少年の思いも。


彼女は、もはや彼女を守るものも守られるものも居なくなった小さな国を見つめていた。
足下に彼女の子供達の屍を抱きながら。






日の当たる、静かな暖かい林の中、降り注ぐ日の光を浴びて、
彼女は威厳と恵みに溢れる姿でずっと立っていた。
風が強く、数々の戦いで傷つき、切り裂かれ、焼かれかけ、彼女を守った兵士達の血で汚れた布で出来た彼女の体を弄ぶときでもしっかりと其処に居た。
其の姿ははその地の守り神のようであり

そして、母の、ようだった。




inserted by FC2 system