男女の話



ある男が身分違いの恋をした。

男は何処にでもいるような平凡な男で、特筆するような特技も無く、ただ少々計算が得意なので商いをしていた。
しかし、相手の娘は大変な金持ちの一人娘。
彼女の住む屋敷は男の住む小さな家とは比べようも無く広く、使用人も沢山居て、いつでも綺麗だった。

彼女自身、気のきく優しい、良い娘だったのだが
ただ一つ、足りないものが有るとすれば其の娘の顔。
其の娘はお世辞にも美しいとはいえない顔をしていた。


男は顔ではなく、『彼女』という人物に恋をしていたためそんなことは関係は無かった。
居ても立っても居られず、恋文をしたためてはくずかごに放り込む毎日を続けていた。

そんなある日、父親が婿を募った。
父親は政略等には興味が無く、ただ娘の幸せを願った結果だった。
その町は広い、一人くらいは娘の目に適う者が居るはずだとの考えだった。

男は喜び勇んで館へと向かった。
これ以上のチャンスはないだろうと思った。

男は精一杯の正装をして、シンプルな花束を持って、館の門を潜った。
中では随分沢山の人が雑談をしながら自分の番を待っていた。
少しだけ、男は自信をなくした。

長い間ぼんやりと何を言ったものだか考えて過ごし、漸く自分の名が呼ばれた頃には日は大分傾いていたし
花束は、少ししおれかけていたけれど
男はやっと待っていたときがやってきた、と
扉を開けて中へ入った。



そこで座っていた娘は、とても悲しそうな顔をしていた。



「どうなさったのですか」
男は問うた。
「絶望してまいりましたの」
娘は答えた。
「絶望?何故です」
「皆様、お考えになられる事が一緒なのですもの」
「私の考えている事もわかるのですか?」
「ぇえ、大体は」
娘はそういって、目を伏せた。
「私は、醜いでしょう?」
男は慌てて
「そんなことはありません」
と返した。
娘は、嗚呼やっぱり、と零すと泣き笑いのような顔をした。
「皆私の顔を見て『そんなことはない』と言います。とても焦って、そういうのです。
醜いものと美しいものの区別くらい、この私にだってつきますわ。
お世辞を言って私の機嫌を取ろうと言うのでしょうね、最初から私の父上のお金が目当てなのですよ」
「そんな」
娘の表情は悲しく、硬く閉ざされていた。
それ以上男に何も言う事は出来なかった。
花束を椅子に置いたまま、逃げるようにその場を後にした。

家に帰ると部屋に閉じこもって少しだけ泣いた。






時は流れるように過ぎて、男はもう初老に差し掛かる程になった。
男は今や商いの才を磨きに磨いて、大きな店を持つまでになっていた。
しかし男は未だに一人身で、周りから散々結婚したら良いのにと言われても
少し寂しげに笑って、首を振るだけだった。

ある日男は、取引をするために他の町へと出た帰り道、家をなくした人々の集まるところを通りかかった。
赤信号で車が止まったため、失礼だとは思いつつもぼんやりと其の面々を眺めていた。


そして青になったとき、其の中に知った顔を見つけて男は息を呑んだ。

いつぞかの、お世辞にも美しいとは言いがたい少女、今は疲れきったような顔をしている女性が
そのものたちの中で実に寒そうに
火に当たっていた。
忘れるわけも無い
見間違えるわけも無い



男の中で、何かが再び息づくのが感じられた。


翌日、大切な書類などは済ませてしまった後に、男はシンプルな花束を持って、
いつものスーツは脱いだ格好で、昨日の場所へと歩いていった。

「こんばんわ」
男は女性を見つけると同時に声をかけた。
周りの人たちもいっせいにこちらへ視線を送ってくるが、気になどしない。
しょうしょう彼女をお借りしますよ、と言って二人きりになると、
困ったような顔をした女性は男に
「どなたでしょう」
と聞いた。
「金融の方ですか?借金はもう返したはずですわ。そっとしておいてください」
「私はそんなものでは有りません」
と、男は答えた。
「いつかいただけなかったお返事を頂戴しに参りました」
「返事?」
「えぇ」
男は、花束を女性に手渡した。
随分と長い間歩いたので、少々しおれた花束を。
困惑しながら其れを受け取って、女性は視線で男に問いかける。
男は、少し照れくさそうに言葉を詰まらせながら、こう言った。
「あの時は、『お断りします』も受け取らないまま、勝手に席を立ってしまい申し訳ございませんでした。
しかしもう随分たったもので、お心変わりを期待してみたのです」
「嗚呼」
女性は目を丸くして、男を見つめた。
思い出してくれた、其れだけが嬉しくて男は笑顔になった。
二人は、いつぞかの青年と娘に戻った。
娘は、しおれかけの花束を胸に抱いて、目から涙をぽろぽろと零しながら笑っていった。
「…でも…私は、醜いでしょう?その上みすぼらしく、汚くなって」
男は
今度こそ、微笑を浮かべたまま
自信を持って
「いいえ」
と言って首を振った。





ある、名の知れた店の店長が突然引退したという噂が、町中に広まって直ぐに消えた。
店長が交代しただけで店がなくなったわけではないし、友人達以外に不思議がる人もいなかった。
その店はいつしか新しい店長の下で発展し、色々な場所に支店を持つまでになっていった。


小さな、山奥の町にも其の店が一軒だけ、立てられた。
大変に便利なので隣接する他の街からも買い手が来て、賑わった。









その人込みの中、一人の男が看板をじっと見つめながら立っている。
彼はその店の中で買い物をしている、妻を待っている。
暫くして、急いで其の中から出てきた妻に、男はそっと笑いかける。
その笑顔に、少し驚いてから

きっと、その妻はこれ以上なく幸せに笑い返すのであろう。






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